医療政策ガイドブック

「患者・市民の医療行政への参加」
その為の社会基盤整備の一環としての
「日本患者会情報センター」の設立

栗山 真理子
日本患者会情報センター 代表
NPO法人アレルギー児を支える全国ネット「アラジーポット」 代表

 初めまして、栗山真理子です。

 この度本コーナーでの執筆の機会を頂きました。NPO法人アレルギー児を支える全国ネット「アラジーポット」の主宰者として、また医療の場への患者参加を支援する日本患者会情報センターの代表者として、医療政策に関わる「つれづれの想い」をお届けしたいと存じます。

 初回は「私」の自己紹介と共にアラジーポットの活動とその活動を通して抱くようになった患者参加への思いについて記させていただきます。

【アラジーポットの設立】
 私は12年間、アレルギーのあるお子さまとそのご家族を支える患者会活動に従事しています。なぜ私がこのような活動をしているのか? その原点は「二人の子どもにアレルギーがあったから」です。二十数年前、医師に対しても医療に対しても、現在とは全く見解が違っていたように思います。医療の質にも医師の技量にもこれほどまでに差がある、ということを想像したことさえありませんでした。ぜんそくの息子は近医で「発作の時に注射を打つ」だけの治療を一年続け、発作で眠れない日が続きました。身長がほとんど伸びなくなり、「低身長症」の疑いで国立小児病院(現・国立成育医療センター)の内分泌科に紹介されました。そこで、内分泌疾患による低身長ではなく、ぜんそく発作のストレスによる身長抑制との診断がでて、同じ病院の「アレルギー科」に紹介され、「一緒に治していこう」と言ってくださる医師に出会い、環境整備から始まり、薬の名前と効用、服用の理由、発作を起こさないために親が出来ること、発作時の処置と対処法について繰り返し教えてもらいました。その医師はもうこの世の方ではありませんが、当時、適切な医療に出会えたお陰で、息子たちは寛解を迎えることができたのです。

 闘病中はぜんそくやアトピー性皮膚炎、そして食物アレルギーのことが頭から離れず、ただ子どもだけを見守り続け、すべてがアレルギーを中心に回っていた日々でした。しかし、子どもの状態が落ち着き、時間にゆとりが出てくると、私たちが闘病中に「この病気を学校の先生やお友達に正しく理解してもらえるように、あったら良かった」と思っていた資料(パンフレットや紙芝居などの「入園入学マニュアル」)を、あの時の私と同じように今困っているお母さまがたにお届けしたいと考えるようになり、「アラジーポット」を立ち上げることにしたのです。

 その後、私はアレルギー児の親であった経験を生かし、2004年、厚生労働省の研究班(日本アレルギー学会のメンバーによる)が作成した「EBMに基づいた喘息診療ガイド2004」を患者さん向けに改変する作業に参加することになりました。こうして作成した「EBMに基づいた患者と医療スタッフのパートナーシップのための喘息診療ガイドライン2004(成人編)」「同(小児編)」の冊子が『日本で初めて患者がガイドライン作成に参加した結果』だということは、後日、新聞の記事を見て初めて知りました。

 患者がガイドラインの作成に参加することは、すでに英国では当たり前の出来事になっています。日本でも2001年に福井次矢氏らが作成した『診療ガイドラインの作成の手順(GLGL)ver.43.4』の中に、診療ガイドラインの質を評価する項目として「患者の意向が考慮されているか」ということが記載され、患者の参加をすすめています。しかし、私の知るかぎり患者が参加して作成された診療ガイドラインはわずか3件(2004年:日本アレルギー学会、日本小児アレルギー学会、2006年:日本乳癌学会)に止まっているのです。

【患者会情報センターの設立の動機】
 私が初めて患者向けガイドラインの作成に参加した当時、アラジーポットは設立から1年半しか経っておらず、会員の数も200〜300名(現在約1600名)ぐらいの中規模患者団体でした。“数は力”といわれるように、従来、患者団体の実力を示す一つの指標に「会員数」がまず挙げられ、次に重視されるのが「設立年」でした。つまり、それまでの常識からいえば、社会的に認められる患者団体とは、関連する患者団体の中で会員数が最も多く、設立年数の長い団体だったのです。しかし、その常識を覆し、アラジーポットが選出されたことで「なぜ、私だったのか」という思いが胸の中に芽生え始めたのです。

 さらにその後、相次いで厚生労働省と文部科学省のアレルギー関連の委員会(※)の委員に就任したことで、その思いはますます強くなっていきました。そして、アレルギー政策にかかわるようになり、その責任と役割と果たそうという思いはあっても患者委員として何を求められているのか不透明な状況の中で、なかなか自信を持つことができませんでした。「もっと他に適任者がいたのではないだろうか。私がこのような政策の場にいてもよいのだろうか」。そんな新たな疑問を抱くようになっていきました。

 この疑問は、その後、患者支援の研究活動へとつながり、今、日本患者会情報センターという組織へと発展し、診療ガイドライン作成の場や医療政策決定の場において、患者団体が持つ社会的機能を十分に活かせるようにサポートを始めています。次回は、日本患者会情報センターの発足経緯と活動内容についてご紹介させていただきます。




※委員等を委嘱された委員会、学会は以下の通りです。
* 厚生労働省「アレルギー対策検討会」委員(2004年)
* 文部科学省「アレルギー疾患における調査研究委員会」委員(2004年)
* 第17回日本アレルギー学会春季臨床大会シンポジウム「アレルギー疾患の自己管理向上のために−患者と医療関係者からの提言」シンポジスト(2005年)
* 第18回日本アレルギー学会春季臨床大会シンポジウム「患者(受療者)の目線からみたアレルギー治療」座長(2006年)
* 厚生労働省「喘息死ゼロ作戦評価委員会」委員(2006年)